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所長のコラム -Vol.33-

人間は動物か?(我が人生観)

 

 人間は動物である。このことを疑う人はいないであろう。但し、犬や猫と違うすさまじく進化した動物である。最近の生命科学はこの事を明らかにしている。食べたものを消化して蓄え、酸素を加えて燃焼させ、それをエネルギーとして体を動かすのである。酸素を運ぶのは赤血球、肺で酸素と結合して現場の細胞に運ぶ。現場では動作をスムーズにするため、少しずつ燃やして動作につなげるのである。この動作の指令を出すのは脳で、指令は神経細胞を伝わって現場に伝えられる。この伝え方は電子のプラスとマイナスの働きを利用して細胞をオン・オフしながら次々と、しかも瞬時に伝えてゆくのである。何と電子計算機のオン・オフと同じで、瞬時にしかも最小のエネルギーで伝えてゆくのである。機械に例えるならば何と優れた機械であろう。46億年の地球の歴史の途上、38億年前に突如生命が誕生した。それから長い長~い時をへて、700万年前頃アフリカに人類が誕生したと言われている。

 

 とに角人間の体とはなんとすぐれた機能を持っているのだろう。特に脳は記憶し、考え、決断し、指令を出します。音を聞き、においを嗅いで、物を見、感情まで持っています。科学が未発達で生命の進化が未知であった時代、人間は動物には違いないが特別な存在なのだと信じられてきました。今は違います。人間がAI(人口頭脳)を作り、その過程で人間の持つ創造性や予知能力のメカニズムまで解明されようとしています。そう、人間は高度に発達した「物質機械」なのです。(すでに昭和50年頃、慶大教授の渡辺格氏はこう言っています。人間は、内蔵されたDNAによって先天的に決められた「物質機械」である。)

 

 「物質機械」、一人ひとりがかけがえのない存在ではありますが、やがて滅びる運命にありま。“人間は死ねばただのゴミである”(立花 隆)、と先人も述べている通りだと思います。人間の脳は異常に発達しましたが、ゆめゆめよみがえり(復活し)、やがて千年王国(天国)の住民になる(キリスト教)とか、あるいは肉体は滅んでも魂はするりと身体から抜け出し、戒名を与えられ、一定の修行の後仏になる(成仏する=仏教)等という世迷い事は信じないことです。宗教は人が生きてゆくこの世があまりにも理不尽で、つらく厳しいものであるため、時には“神様、助けて下さい!”という気持ちにもなりますが、これはそんな気持ちに付け込んだまやかしであると自分は思っています。信教の自由は憲法でも保証されていますが“宗教は心のアヘンである”と思うものです。

 

 人は動物として生れ、動物として日々を生きてゆくだけです。そもそも何か目的をもって生まれてきた訳でもありません。『人生の目的は何ですか?』、こんな問いは青臭い若者のたわごとにしか過ぎない。人生に目的なんかありません。人間の2大本能(エロスと闘争本能)に従って逞しく、楽しく生きてゆくだけです。

 

 でもそれだけで良いのか。ただ命を全うするだけで良いのか。誰もそうは思いますまい。では人はどう生きるべきか。このことは一人一人が考え、心の底に落とし込んでおくべきものだ、と思います。紙幅が尽きました。今回はこの辺りで止めておくことと致します。