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所長のコラム -Vol.39-

我が家の歴史-最終回-

 

 今回は我が家の恥をお話ししたいと思います。私の家は代々家業として染物業を営んでいました。聞くところによると祖父は羽生の在で紺屋(藍染業)をしていましたが、あまりにも田舎であったため、町場である加須(当時は三俣村)に越してきました。父は長男として紺屋を継ぐべく若いころ京都に修行に出され、帰ってから京染を看板に染物業を営んでいました。戦後、物の無い時代には着物の染め替えが盛んで大いに繁盛したようです。お代は農家の家などはお米でもらったりして、戦後食糧難の時代にも食べるものに困ることは無かったと聞いています。自分が子供の頃、半纏や暖簾を染める藍甕が20個ほど埋められており、父たちがそこで作業をしていたことを覚えています。

 

 ところが世の中は大きく変わりました。まず人々が着物を着なくなったのです。更に豊かになるに連れて染め替えて着物を着るということが無くなりました。着物は豪華なものであり値も張るため、吟味して出来合いの物(呉服)を買うようになっていきました。このままでは先が無いと思ったのでしょう。兄2人は大学に行きさっさと他へ就職してしまいました。そこで父は3男に何としても後を継がせようと、染色科のある工業高校へ進ませ、就職した兄を引き戻して後を継がせました。私(四男)が中学生の頃の話です。その頃はまだまだやって行けたのでしょう。しかし時代の波は抗えません。徐々にじり貧になってゆき今日に至ります。その間長い年月があったにもかかわらず商売替えもままならず、ずっと苦しいままに兄は一生を終えようとしています。

 

 商売替えをして成功する人はほんの一握りなのかもしれません。それよりもそもそも商売を始めようとすること自体、並大抵の事ではないのです。全身全霊、全財産を賭けて起業するというのが通例でしょう。その挙句、失敗すればみじめな人生、底なしの泥沼に足を踏み入れることにもなりかねません。

 

 これら勇気ある起業家、経営者たちと渡り合い、ともに過ごすことが出来ていることは私の大いに喜びとするところです。多くのことを学ばせていただきました。この旅はこれからも続きますが、『所長のコラム』に関しては、この辺で一度筆を置きたいと存じます。拙い拙文を長いことお読みいただいた皆様方に感謝申し上げます。『いつも楽しみに読んでいるんですよ。』等々、時には感想をいただき、励まされてもまいりました。本当にありがとうございました。