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所長のコラム -Vol.21-

鎌倉殿の13人

 

 NHKの大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」もいよいよ大詰めですね。前回(12月11日放送)で、北条義時が死を目前にして「面白きいい人生だった」というセリフには泣かされました。後鳥羽上皇が朝廷の権威を取り戻すべく、鎌倉方の実権を握る義時追討の院宣を発します。鎌倉方では御家人たちが朝廷方に味方して、にっくき義時(北条家)を滅ぼすか、朝廷に対抗して関東武士団の権益を守り抜くか、意見が割れます。その時義時は、自分が京都に赴き、首を差出し、朝廷方との争いに終止符を打とうと決断し、己の人生を振り返って述べたのが先のセリフなのです。(これはドラマなので真偽のほどは分かりませんが・・・)

 

 伊豆の片田舎の小さな豪族の次男坊が、上皇に名指しで指名されたように、清盛(平家)や頼朝(源氏)に並ぶまでになったとも述懐しています。その間、頼朝が築いた鎌倉幕府を守るため何人の人を葬ってきたか。敵対する多くの御家人を滅ぼしてきたばかりでなく、頼朝の長男(頼家=2代将軍)とその息子を殺害し、父親(初代執権・北条時政)を追放し、妹も死の一歩手前まで追込んでいます。その剛腕ぶりに多くの御家人は恐れおののき、敵意を胸に秘めるようになります。

 

 この時、有名な北条政子(頼朝の妻で尼将軍とも言う、義時の姉)の演説によって、鎌倉方は団結し、朝廷方との戦(承久の変)になる訳ですが、朝廷方を一蹴し、天皇家を滅亡の一歩手前まで追い込むのですね。まさに歴史の転換点、この時の対応によっては日本の歴史は大きく変わったものになったことでしょう。

 

 私は義時に大いに同感するのです。私は、企業経営を続ける中で、多くの人を傷つけ、恨みを買ってきました。人事評価しかり、退職勧告しかりです。又多くの失敗を重ね、悔恨の念に日夜眠れぬ夜を過ごしております。でもこれは私一人に限らず、経営者であれば誰でも思い当たることではないでしょうか。経営は日々変化し、これで良いという事はなく、『人の一生は重き荷を負いて、遠き道を行くが如し』という徳川家康の言葉を思い出します。一方、『ストレスは万病の元』と言います。あまり物事を気にしないで、ケセラセラ、なるようになるさ、という気楽な気持ちで、最後に義時のように、「面白きいい人生だった」と言えればいいなと思っています。