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所長のコラム -Vol.35-

後世への最大遺物』を読む

 

 

 八代亜紀さんが亡くなり、クラシックの世界では小澤征爾さんが亡くなりました。少し前になりますが谷村新司さんも亡くなりました。人間は動物ですからやがて誰でも死んでゆきますが、皆さん生前中すばらしい仕事をなされ、今でも彼・彼女らの音楽に接すると魂が揺さぶられます。

 

 ところで私たち凡人は、死後この世に遺してゆくものがあるのでしょうか。この本を頼りに考えてみたいと思います。それにしてもこの題はいかにも古臭いですね。それもその筈、著者は明治・大正時代の思想家、内村鑑三(高崎藩士の子として生れ、札幌農学校卒業後米国へ留学、教員。キリスト教徒)です。今風に言えば、「後の世に残しておきたいもの」とでも言いかえれば分かりやすいですね。

 

 それにしてもこの題は誤解を与えます。彼はこう言っています。「別に後世の人に褒めてもらいたいとか、名誉を遺したいと思っているわけではありません。大学を卒業するときに、同級生たちと記念樹を植えました。この地球を愛した証拠、仲間たちを愛した記念碑を置いていきたいという程度のことです。」

 

 最近TVコマーシャルであなたの宝物はなんですか、という質問に、「おなかの赤ちゃんです。双子なんですよ。」と誇らしげに話す女性。「健康です。こうして毎日散歩しています。」という老人。「この上腕二頭筋です。これで優勝したんですよ。」という若い女性。その中に「この会社です。自分で立ち上げたんです。」という中年の男性がいました。それだと思いました。私たち事業家はそれぞれの事業に磨きをかけ、後世に遺してゆく、それは素晴らしいことだと思います。お金は老後の生活を楽しむための少々のお金、子孫へも少々のお金で十分、自分で稼いだお金でなく親の遺産で暮らそうなどというと碌な人生にならない、そう思います。もし余ったお金があればこれはと思うところへ寄贈する。これは事業とともに『後世への最大遺物』なのではないでしょうか。

 

 本に戻ります。彼はキリスト教徒に似合わず、「後世に遺すのに一番大切なもの、それはお金です。」と言い切っています。その真意は「子どもに遺産を遺すだけでなく、社会に遺すということです。」アメリカの例をあげて、「慈善事業をする本当の実業家が日本にいるか」と嘆いています。「財産を築いた人はそれを有効に使えなければダメです。有効なお金の使い道を考えられない人が資産家になるのはとても危険なことなのです。」

 

 「しかし、お金も事業も文学も思想も、本当の最大遺物ということはできません。なぜなら、誰もが遺せるものではなく、しかも遺した結果が害になることもあるからです。では最大遺物とは何でしょうか。後世に誰でも遺せて、有益で害にならないものは、『勇ましくて高尚な人の一生』です。」

 

 では『勇ましくて高尚な生き方』とはどういうものか。この本を解説してくれた佐藤優氏が「人生、何を成したかより、どう生きるか」と改題しているように、この本の主題はそこにあると思えるのですが、私も暗中模索ですし、紙面が尽きたのでこの辺で筆を置きます。最後までお読みいただきありがとうございました。