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所長のコラム -Vol.12-

プーチンの悲劇

 

 ロシアがウクライナへ軍事進攻し、「力による現状変更の試み」だとして世界中から非難を浴びています。思い出すのが90年前の日本です。1931年、実力者・張作霖を爆死させて(柳条湖事件)満州国という傀儡政権をつくり、これを実効支配しました。更に6年後、蘆溝橋事件を契機として中国侵略戦争を開始、世界中が避難する中、国連を脱退し、石油の禁輸などをちらつかせた経済封鎖に対抗して米英等に宣戦布告(真珠湾攻撃)しました。どこか今のプーチンに似ていませんか。

 

 なぜこんなことになったのかと言えば、軍人が暴力で政治を支配したからだと思っています。2・26事件や5・15事件、浜口首相の暗殺等テロの嵐によって政治家をふるいあがらせ、一方、天皇の名を借りて(統帥権)文民政治家の発言を封じました。一時、東條英機は首相の他、陸軍大臣・内務大臣・参謀総長を兼ね完全に独裁者となっていました。

 

 その結果、何が起こったか。

 

 一つには暴力の蔓延です。軍隊ではビンタは日常茶飯事、こん棒でぶん殴り、片輪になるまでぶん殴ったそうです。これを目撃した渡辺恒雄(学徒出陣で徴兵された、読売新聞社・社長)は、後にこのことを強く非難しています。

 

 一つは思想・言論統制です。共産主義者などは徹底的に検挙して投獄し、虐待されました。また自分たちに都合の良い事しか報道しない。真実を伝えない。「勝った勝った」と言うばかりで、負けて退却しても転進と言い、玉砕を日本精神の発露として賞賛しました。「どうも負けそうだ」、と言ったりすると特高に睨まれ、あるいは戦場に駆り出され、あるいは出版社であれば廃業に追い込まれた(中央公論社・改造社)。

 

 一つは統制経済です。何でも規則を作って規制しました。例えば食料は配給制となりました。皆飢えてだんだん痩せてきた。「痩せましたね」、これが日常会話。着るものも規制。

 

 数え上げればきりがありません。軍人は観念論で考え方に柔軟性がなく、なんでも規制しようとする。こうして経済力10倍のアメリカに戦いを挑み敗れました。日本の主要都市は空襲で破壊され多くの一般人も犠牲になりました(私が生まれた昭和20年、3月10日の東京大空襲では一夜にして10万人が死んだと言われています)。当時と今では同列に語れないことは分かっていますが、日本は「力による現状変更の試み(いわゆる侵略戦争)」に挑み敗れました。今またプーチンが同じことをしようとしています。ロシアも日本と同じ轍を踏むことになるのではないでしょうか。歴史上、プーチンの悲劇として語られることになるのではないでしょうか。

(令和4年3月6日、記。戦時中のコメントは清沢冽「闇黒日記」から引用しました。)